上田朝直墓

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名称:上田朝直墓
住所:埼玉県秩父郡東秩父村御堂362番地・浄蓮寺

浄蓮寺は既に「大河原氏館」として紹介しています。
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「埼玉の館城跡」によれば、丹党一族の弥四郎時秀が大河原に移住し、在名を氏としたそうです。その後、時行、国村、光興の3代にわたり居館したそうです。光興は仏教に帰依し、浄蓮と号して浄蓮寺を開祖したというが、真偽は不明であるとしています。

「日本城郭体系」によれば、浄蓮寺は安戸城の麓の館と推察しています。
確かに寺域から安戸城が手に取るように見えます。

上田氏は、比企郡吉見町の松山城主です。
松山城の他、関八州古戦録(関東古戦録)に登場する、青山城腰越城(安戸の砦)も上田氏と深く関わった城と考えられます。
関八州古戦録の詳細は、永禄4年(1561)12月、上杉新蔵人憲勝の守る松山城を、北条氏政、大石氏照、北条綱成の3万余騎が、翌永禄5年正月、武田信玄、武田義信2の万5千余騎をもって攻め、永禄5年3月2日、開城させたことです。
氏政は、新蔵人憲勝に武州都築郡で300貫の知行を与え、松山城には上田暗礫斎と同上野介朝広を戻して、青山、腰越の砦とともに固く守らせ、その後退陣したと記されています。

さて、墓所ですが境内の北西に面した斜面にあります。案内板も設置されています。
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県指定史跡
上田朝直墓
指定年月日 昭和5年3月31日
浄蓮寺墓地内にある松山城主上田朝直の墓で、石製の宝塔形をした高さ1.2mのものである。上田朝直墓を中心に三基が並んで建立されており、三基とも基礎は縁取りで二区に分け反花座を置く。蓮弁はふくらみのない単調な彫りで、室町末期の特徴を良く表している。軸部正面を穿って翕を作り、両開きの扉を付した形跡を残す。また翕の上には破風があり、懸魚の形を線刻している。
上田朝直は安独斉宗調と号し、天正10年(1582)10月3日に没している。
左は上田政広(蓮好)、右は上田長則(蓮調)の歴代松山城主の宝塔で、松山城最後の城主上田憲定によって造立されたものと考えられる。
平成24年3月
東秩父村教育委員会

戦国時代に比企郡で活躍した上田氏。今回ばかりは線香を手向けました。
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浄蓮寺の隣には「東秩父和紙の里」が完成していました。
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こちらは平日で駐車場満車状態。浄蓮寺の静けさと対照的でした。
地図はこちら
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by ckk12850 | 2018-06-25 07:00 | 古墳・墓【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助