生品神社

c0051112_1753424.jpg

名称:生品神社
住所:群馬県太田市野井町645番地

生品神社境内は新田荘遺跡の一つです。
また、新田義貞が鎌倉幕府打倒のため挙兵した場所として有名です。太平記巻10には「元弘3年(1333)5月8日、卯の刻、生品神社の御前にて旗を挙げ、綸旨を開いて3度これを拝し、笠懸野へ打ち出でたる」と記されています。
結集した武将は、新田太郎義貞、脇屋次郎儀助、大館次郎宗氏、同孫次郎幸氏、同弥次郎氏明、同彦二郎氏兼、江田三郎光義、堀口三郎貞満、同四郎行義、岩松三郎経家、里見五郎義胤、桃井次郎尚義等でした。
「これらを宗徒の兵として、150騎には過ざりけり」という挙兵で、その後、中世東山道(あづま道)に出て西に進み、八幡荘寺尾を目指します。途中、越後国魚沼郡波多岐荘や妻有荘の里見、大井田、田中、羽川氏らの新田一族が合流します。

神社は赤い鳥居と銅像が目印。
c0051112_1763116.jpg


義貞が旗を挙げたと伝えられる「旗挙塚(はたごつか)」は必見。「新田義貞旗挙塚址」と記された石柱と塚があります。
社務所の左奥にあります。
c0051112_177254.jpg

探したのが「床几塚(しょうぎつか)」で、駐車場の隣にありました。松の古木が目印です。「新田義貞床几塚」と記された石碑があります。
c0051112_1772954.jpg


鳥居脇に「史跡 新田義貞挙兵伝説地」と記された石碑があります。
c0051112_1791246.jpg

その他、新田義貞公挙兵六百五十年記念 内閣総理大臣中曽根康弘書。
新田義貞公並一門挙兵之地 内閣総理大臣福田赳夫書。
新田公挙兵六百年記念碑 正二位公爵徳川家達書。
いろいろ石碑がありますが、多すぎ!

鳥居脇に案内板があります。
国指定史跡
新田荘遺跡
生品神社境内
所在地 群馬県新田郡新田町市野井640他
指定 平成12年11月1日
新田義貞が後醍醐天皇の綸旨を受けて、元弘3年(1333)5月8日、鎌倉幕府(北条氏)討伐の旗挙げをしたところが生品神社境内です。昭和9年に建武の中興六百年を記念して「生品神社境内 新田義貞挙兵伝説地」として史跡に指定されましたが、平成12年に「新田荘遺跡 生品神社境内」として、面積を広げて指定されました。
義貞が旗挙げを行った時はわずか百五十騎でしたが、越後の新田一族などが加わり、たちまち数千騎となって、15日間で鎌倉幕府を攻め落としたといわれています。
神社境内には、旗挙げ塚、床几塚があり、拝殿の前には義貞が旗挙げの時に軍旗を掲げたと伝えられるクヌギの木が保存されています。
現在では、義貞挙兵の故事にならい、毎年5月8日、氏子によって鏑矢祭が行われています。
平安時代に編集された「上野国神名帳」に「新田郡従三位生階明神」と書かれていることから、神社は平安時代には存在していたと推定されます。
平成13年7月
文部科学省
群馬県
新田町

観光客はいましたが、足利市の鑁阿寺等と比較すると寂しい限り。
c0051112_1795836.jpg

現代も足利と新田の違いを体感してしまうのでした。
歴史的には足利贔屓、史跡観光的には新田贔屓なのですが。
地図はこちら
[PR]
by ckk12850 | 2018-07-15 07:00 | 神社仏閣【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助