万徳寺

c0051112_19132684.jpg

名称:万徳寺
住所:群馬県太田市徳川町382番地2

太田市立縁切寺満徳寺資料館があります。
広い駐車場にビックリ!

満徳寺は鎌倉の東慶寺と並び、世界に2つだけの縁切寺でした。この寺へ駆け込んだ妻を救済して、夫との離婚を達成させてくれた尼寺です。
c0051112_19174933.jpg

徳川家康の孫、豊臣野秀頼の妻であった千姫(実際は侍女)が寺に寺に入り、離婚後再婚した例に習い、縁切寺法の特権が幕府に容認されたと伝えられます。
寺は明治5年(1872)に廃寺になりましたが、昭和31年(1956)、跡地の一部が群馬県指定遺跡「縁切寺満徳寺遺跡」に指定されています。

文化6年(1809)に隣家からの出火によって、本堂をはじめ境内残らず類焼しました。辛うじて本尊や開山上人座像、歴代将軍の位脾、御朱印状などを持ち出したに過ぎないとのことですが、資料館に展示してあります。廃寺になった後も徳川地区民が大切に守ったというから驚きです。

資料館は2本のビデオが流れています。声は市原悦子!

資料館内には、様々な縁を切ってくれるトイレもあります。
c0051112_19154519.jpg


資料館の隣には復元本堂、復元門、復元庭園等があり、資料館とともに拝観できます。
c0051112_19141588.jpg


東側の駆込門も復元されています。
c0051112_1916487.jpg

門脇に案内板があります。
群馬県指定史跡
縁切寺満徳寺
史跡指定 昭和31年6月20日
所在地 太田市徳川町382番地2
江戸時代に於いては、一度他家へ嫁した上は、その夫人や家人と不和を生じるなどして生家に戻っても、夫方の離縁状を持たなければ、再婚することが出来ないという規則があった。その時代に弱い立場の女性を護り、離縁の目的を貫かせた寺として有名な所が日本に二つあった。鎌倉の東慶寺と徳川の満徳寺がそれである。徳川郷は徳川氏発祥の地として、江戸時代には幕府から租税課役の免除、あるいは守護使不入の地として、特別な取り扱いを受けていた。
満徳寺は、徳川氏の初代義季の娘・淨念尼が開いた時宗の尼寺である。代々の住職は新田一族から出たというゆかりによって、天正19年(1591)家康は寺領百石を寄進して、当時衰微していた寺を復興させた。
次いで大阪落城の後、豊臣秀頼の妻であった秀忠の娘・千姫を入寺させ豊臣家との縁を切った。そして、本多家(忠刻)へ再嫁させたのであるが、実は、千姫の身がわりとして侍女の刑部の局が入寺し、名を俊澄と改めて住職になったといわれる。
以来、時に幕府から優遇を受けるようになった。寛永13年(1635)三代将軍・家光の時寺を再建し、以後将軍家の位牌所として修繕費等は全て幕府の支弁によった。
このように徳川幕府を背景として、寺法は権威もち縁切寺としての機能を強く発揮することが出来たのである。
離婚の目的でこの寺に駆け込んだ女性は、入寺後、足かけ三年たてば、離縁状を入手できた。寺内に寺法による法廷があり、寺のかたわらには駆込宿(その主人は代書人)もあった。
開山以来満徳寺で取り扱った事件の数は、資料が乏しいため正確には分からないが、判明したものだけでも77件を数えることが出来る。その地域も関東各地はもとより、遠く奥州にまでおよんでいた。しかし明治5年(1872)ついに廃寺となり、寺領、寺域の大部分は民有地となったが、地元有志は、由緒ある寺の消滅するのを惜しんで同27年再興し、今日に及んでいる。
太田市教育委員会

この寺に隣接して徳川義季館跡、徳川東照宮、伝新義重夫妻の墓があります。
お見逃しのないように。
地図はこちら
[PR]
by ckk12850 | 2018-08-10 07:00 | 神社仏閣【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助