大館氏館

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城名:大館氏館
別名:―
城主:大館家氏他
住所:群馬県太田市大館町
遺構:不明

「歴史の旅 太平記の里 新田・足利を歩く」によれば、館跡は1.5町(150m)四方の規模の館だったそうです。

大舘氏館跡は、太田市大舘町にあります。県道からの案内表示もなく探してしまいました。
付近は、ネギ、大和芋の栽培が盛んなようです。館跡案内板を発見と思ったら、大和芋販売所ばかりで!
やっとそれらしき場所を発見。
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畑の中の赤い鳥居が目印です。
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諏訪神社があります。

新田義重―義兼―義房―政義―家氏と続き、家氏が大館に住んで大舘氏の祖となったといわれています。
家氏の子に綿打為氏、堀口貞氏がいますが、大館氏は家氏―宗氏、宗氏の子に幸氏、氏明がいます。

案内板があります。
大舘氏館跡
おおたちの地名の初見は仁安三年(1168)新田義重置文(国重文・長楽寺所蔵)であり、義重がその子、らいおうごぜん(徳川義季)とその母に、所領を譲り渡す約束をした文書である。
それによると、おおたちは空閑の郷(新しく開墾された土地)で、他の十八郷とともに、らいおうごぜんやその母に譲渡される予定であった。がしかし、その後の事情で新田宗家に伝えられることになったものと思はれる。義重四世の孫、家氏がここに住んで大館氏の祖となった。
館跡は耕地整理などによって、その遺構は失われたが、古くから竈跡であったと伝えられる。この地を中心に、御堀、御蔵、鍛冶屋、馬場などの小字名が残り、往時を偲ばせる。家氏の子宗氏、その子幸氏、氏明は新田義貞に従い活躍した。
太平記によれば、生品明神での挙兵にあたり義貞に従軍した一族の筆頭は大館宗氏父子であり、宗氏は鎌倉攻略にさいし極楽寺坂向った寄手の大将として奮戦、突破口を開いたが、そこで惜しくも戦死を遂げた。宗氏主従慰霊のための十一人隊では現在も地元の人々によって供養が続けられている。
その後各地に転戦した大館一族の中にあって氏明は吉野に御所を定めた後醍醐天皇により伊与の国の守護と任じられ、脇屋義助とともに四国全土を南朝の手に統一する働きをみせたが、義助は病没、氏明も世田城に戦死を遂げた。
太田市
商業観光課

案内板の十一人隊は、十一人塚の誤記です。
また、塚は鎌倉の稲村ケ崎にあります。当初、諏訪神社の裏にある石祠が十一人塚かと思ってしまいました。
地図はこちら
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by ckk12850 | 2018-08-20 07:00 | 日本全国【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助