綿打入道太郎為氏館(大慶寺)

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城名:綿打入道太郎為氏館
別名:大慶寺
城主:綿打入道太郎為氏
住所:群馬県太田市大根町1000番地
遺構:土塁

新田義重の娘、妙満尼の開基といわれる大慶寺。その庭には約150種、3,500株のぼたんがあり、4月下旬から5月上旬に赤、白、黄色の花が咲き誇るそうですが・・・
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5月上旬の訪問で咲き終わっていました。藤棚も咲き終わっていましいた。

新田義重―義兼―義房―政義―家氏と続き、家氏が大館に住んで大舘氏の祖となり、家氏の子が綿打為氏です。

正面仁王門の右側に自販機。その隣にトイレ。
自販機とトイレの間に綿打入道太郎為氏館跡の石柱が!
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新田義重、義兼、義房、政義、大館家氏、家氏の子が綿打為氏です。
「歴史の旅 太平記の里 新田・足利を歩く」によれば、綿打氏義、氏頼は新田義貞に従軍し、建武4年(1337)越前金崎城で討死、綿打某は建武5年に北畠顕家に従軍し摂津堺浦で討死、また、綿打入道は南朝の花園宮を奉じて暦応3年(1340)前後に土佐で活躍しているそうです。

境内に大きな案内板があります。
大慶寺由来
永暦元年、源義平「悪源太」歿後その妻が父新田義重を頼り世良田郷に住み後綿打郷に移り義平の冥福を祈ると共に菩提を弔うため出家して妙満寺となり一庵を結びました。したがって妙満尼を大慶寺の開基とし山号を妙満山と称します。その後綿打入道為氏の館となり、明徳五年空覚上人を小俣の鶏足寺より迎え館跡寄捨し大徳寺を建立しました。空覚上人を中興開山第一世としており、以来五十余世に至る間、幾多の名僧を輩出しております。このように法燈のさかんなりし時は多くの末寺を有し、盛衰の歴史を辿って今日に至って居ります。また、文化七年と大正十五年に二度の火災により貴重に所蔵品を焼失しましたが、仁王様、不動明王、大日如来、梵鐘、子授地蔵等焼失を免れました。本堂裏手には南北朝時代に南朝の維持に尽くした面打入道為氏の墓石が古を忍ばせています。

案内板に記されていませんでしたが、本堂の裏手に土塁が確認できました。
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案内板に記されていましたが、綿打入道太郎為氏館の墓石は見落としました。
地図はこちら
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by ckk12850 | 2018-09-01 07:00 | 日本全国【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助