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小倉城

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城名:小倉城
別名:玉川城
城主:遠山右衛門大夫光景?・遠山氏?
住所:埼玉県比企郡ときがわ町(旧玉川村)田黒字城山1184番地
遺構:土塁・空堀・堀切・石塁・平場

この城、慣れるまで1回で行けた試しがありませんでした。目標は玉川カントリークラブ。国道254号線を東京方面から見て「嵐山渓谷入口」を左折、槻川に架かる「槻川橋」を渡り、「田黒」交差点まで県道173号線を通ります。この田黒を右折(玉川カントリークラブの入口案内板あり)。本当に大丈夫だろうかと疑問を持ちながら直進。左手に田黒608番地の大福寺が見えます。この寺が城の入口です。お疲れ様(笑)
で、大福寺境内に駐車し、本堂右から山登り。必ず杖と方位磁針を持ってくだされ。
それから軽登山用の靴も履くべし!

入口が分かれば林道小倉線を車で登ってしまうと楽です。
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四の郭の虎口から訪問できます。道標や案内図が詳しいので、このコースがオススメです。
林道に駐車して、夏場でも気楽に歩ける道を行けば「ホトケハラ平場群」に。四の郭虎口、大竪堀を経て、二の郭(二の丸)、そして一の郭(本丸)の南虎口から訪問できます。
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槻川を堀に見立て、周囲を山で囲まれた「隠し城」のような感じです。

一の郭に石碑があります。
埼玉県指定史跡 小倉城跡
比企郡玉川村大字田黒字江戸田城山 昭和11年3月31日付け指定
この城は標高140mの山上にある典型的な山城である。城下は槻川の曲流により画され東北西の三方は断崖をなし要害な位置を占めている。
城の形状は細長く南北約360m、東西110mある。
本丸を中心に8つの出曲輪をつくり各曲輪の塁壁は5~6mをなし本丸と二の丸には高さ1~2mの土塁をめぐらしている。
また基盤を掘削した空堀も残存している。
築城年代は不詳であるが、おそらく鎌倉街道の押えとしての役割ももっていたと考えられる。元亀天正のころ(戦国時代)北条氏の武将遠山右衛門大夫藤原光影の居城となったが天正18年(1590年)豊臣氏の小田原攻めのとき松山城などとともに落城したものといわれる。
昭和49年10月
埼玉県教育委員会
玉川村教育委員会

最近、新しい案内板が設置されました。平面図(見学路)、主な見どころ、小倉城跡について(小倉城跡立地概念図)が記されていますので参考になります。
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遠山右衛門大夫藤原光景とはどんな人物なのでしょう。遠山氏は小田原北条氏に属し、初代は直親という説があります。この遠山直親、兄の康景が永禄7年(1564年)の国府台で討死したので、兄の後を継ぎ江戸城主となりましたが、小倉城はその子光景に譲ったそうです。

新編武蔵風土記稿では、大福寺と小倉城について次のように記されています。
大福寺 天台宗、下青鳥村浄光寺の末、延命山地蔵院と号す。開山の僧を賢仙といい、没年は不明である。本尊は地蔵を按じている。

城蹟 (田黒村の)北の方にあり、小字小倉の内にあり、遠山右衛門大夫光景の居城の跡という。四方二町くらいの地であり、東北の二方は都幾川、槻川の二流に臨み、西南は山に沿って頗る要害の地である。光景(遠山右衛門大夫光景)は隣村遠山村(嵐山町遠山)の遠山寺の開祖檀越であり、天正15年5月に没している人なので、ここに住んだのは元亀、天正の頃だろう。

一の郭、南西出郭と三の郭の堀切は90度近い崖となっていて圧巻。
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別の角度から。
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二の郭、南西の堀切も90度近い崖となっていますが、囮虎口のようなイメージも。強力に四の郭からの進入を防いでいます。
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全体的に南西の防御に工夫の跡が見られますが、これは一番弱い小倉峠方面の対策だと思われます。

二の郭も相当の防御が施されています。「日本城郭体系」では、ここが一の郭説です。しかし、一の郭から見下ろされることになります。ちょっと無理があります。「小倉城」の古い石碑もあります。
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それから腰郭らしき小さな郭(20~30人程度の兵が守れそう)が多いのも特徴でしょうか。地形がそのようにさせたのか、それとも築城者の意図だとするとなぜ?
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いずれにしても方位磁針が無いと、自分自身も迷ってしまうくらい、敵をかく乱する力がある城だったと思われます。
実際、2回目の訪問では、一の郭で迷子になったし(苦笑)

大手は大福寺から一気に登る竪堀ではないかという説がありますが・・・
現在の遺構は埼玉県内で最強レベルです。
変わったところでは、板碑に使用される緑泥片岩の石塁(石垣に似ています)が多用されていることです。青山城鉢形城では類似の石積みがあるとはいえ、埼玉の中世城郭の価値観が変わることでしょう。
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ここが一番すごいかも。一の郭南側です。
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ほぼ石積みで囲まれた三の郭(資料によっては出郭)も重要なポイントです。お見逃しないよう。
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三の郭の南下には五の郭があり、井戸ノ沢と接しています。水の手を確保したと考えられています。
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こんな山の中に一体どんな敵が攻め込むのかな・・・
松山城主上田氏領に北条氏の重臣の城があるということは、上田氏を牽制する役割があったのかもしれません。
周囲の山から小倉城の石積みを見させて、権威の象徴とした可能性があります。

本丸は岩盤を利用した掘立柱の穴のような遺構もありました。
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発掘調査が行われ、15世紀末から16世紀後半までの遺物が出土しているので、扇谷上杉氏、山内上杉氏(両上杉氏)時代から小田原北条氏時代まで存在したと考えられています。
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最後に関連の寺院を。
城の東には大福寺があります。
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ここには遠山右衛門大夫光景の夫人のものと伝わる位牌があります。高さ86cm、幅13cmの桐材で作られ、表には「華楽院殿妙香大禅定尼」と書かれ、裏には「遠山衛門大夫藤原光景室葦園」と書かれています。ときがわ町の指定文化財です。
大福寺の前にある畑の一部は堀跡だそうです。
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また、槻川を隔てた遠山地区(遠山211番地)に遠山寺(えんざんじ)があります。遠山右衛門大夫光景の宝篋印塔があります。
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なお、郭の名称につきましては、埼玉県教育委員会・ときがわ町教育委員会設置の案内板を参考にしています。

小倉城本郭にある案内板によれば、小倉城立地概念図「自然地形の外郭線」として、小倉城の北は標高221.8mの遠山地区の物見山、西は標高275.1mのときがわ町五明の物見山東の稜線、北東は標高179mの大平山、南東は標高164.9mの正山まで含めています。また、小倉集落、坂下(下里)集落、遠山集落も中世の集落としています。

小倉城から標高265.1mの青山城に向かって、標高269.8mの仙元山、標高275.1mのときがわ町五明の物見山東の稜線、標高287.9mの物見山(ときがわ町五明)、標高268.5mの日本城郭体系第5巻の物見山(ときがわ町五明)、標高252.6mの大日山も参考にどうぞ。
地図はこちら
by ckk12850 | 2006-03-23 07:00 | 比企郡ときがわ町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助