女影ヶ原古戦場

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名称:女影ヶ原古戦場
住所:埼玉県日高市女影

地名は「おなかげ」。間違えても「おんなかげ」とか「めかげ」なんて読みませんように(笑)
パソコンで「おなかげ」と打ち、変換すると「女影」が出てきませんか???
なので「おなかげがはら」古戦場が正解です。
県道川越日高線の女影交差点を川越方面から見て左折、諏訪橋を渡りすぐに霞野神社があります。朱色の目立つ神社です。
鳥居前の道は鎌倉街道上道です。由緒ある道なのですね。神社近辺には鎌倉街道の名残がたくさんあります。
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神社境内に古戦場の案内板がありますが、大雑把で意味が不明です。可能な限り詳細に補足します。
1333年、鎌倉幕府滅亡後、第14代執権北条高時の遺児、相模二郎時行は、信濃(長野県)に潜伏して兵を整え、甲斐(山梨県)を制圧し、そのまま上野(群馬県)に進出した。そのまま武蔵(埼玉県方面)に進出し、鎌倉府を討とうとした。鎌倉府は、足利直義と渋川次郎大輔義季、岩松兵部経家等を主将として建武2年(1335年)、7月22日、女影ヶ原の要地を防御の陣地4隊で迎え討つつもりであったが、北条時行軍に敗れた。
この付近の旗塚は、当時の遺跡であり、地名で天神、寺脇、諏訪脇、諏訪山等4か所が残っている。

とのことです。つまり、鎌倉幕府再興を賭けた北条時行が、足利新政権(建武中興政権)に対し反旗を翻し、大きな合戦になったところですね。
北条氏の残党は、各地に潜伏していたのですが、後醍醐天皇の建武の中興が失敗となった時、各地で蜂起しました。その最大の事件が「中先代の乱」だったのです。結局、鎌倉まで迫った北条時行でしたが、足利尊氏に討伐されてしまいます。
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by ckk12850 | 2006-04-05 12:00 | 古戦場【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助