源範頼館(吉見御所)

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城名:源範頼館
別名:吉見御所
城主:源範頼
住所:埼玉県比企郡吉見町大字御所146番地1・息障院
遺構:水堀・空堀

吉見町役場の北1km、松山城の東北東2kmに位置する源範頼館。その館は伝承が多く、謎も多い館といえましょう。

これだけ有名な人物、館跡でありながら謎だらけというのも珍しいです。仮にも源氏一門ですから・・・
蒲冠者と称した源範頼は、源頼朝の異母弟です。吾妻鏡では治承5年(1181年)に「蒲冠者範頼馳せ来たる」から始まり、平家追討に活躍するものの、頼朝から警戒され、建久4年(1193年)伊豆に幽閉されてしまいます。ここまではある程度知られている事実。しかし吾妻鏡では源範頼の最後が記されていないため、日本各地に伝説を残し、この息障院も伝説地の1つとなっています。
ところが、治承5年(1181年)より前、父源義朝が平治の乱(1159年)に敗れ平家方に追われた範頼は、岩殿山安楽寺(吉見観音)に稚児僧として暮らした伝説もあります。

息障院の山門前に案内板があります。
「当山は真言宗智山派に属し、岩殿山息障院光明寺と称する。
開創は古く天平年中(730年ころ)行基菩薩によるといわれている。また、大同年中(806年ころ)坂上田村麻呂将軍の開祖によるとも伝えられている。
古くは吉見護摩堂と称し、天慶の乱の折、平将門調伏の護摩を修し、その功により息障院の号を下賜されている。
現在の境内地は、源範頼の館跡といわれ、県の指定旧跡となっている。
本尊は不動明王であり、平安時代末~鎌倉初期のもので定朝様式を伝える傑作といわれ、県指定の有形文化財である。
当山の全盛期は、戦国時代から江戸時代で、その当時は、末寺120余か寺を数え、隆盛を極めたものである。
平成10年3月
吉見町・埼玉県」
とあります。

もともと息障院は、岩殿山安楽寺(吉見観音)の参道から右に見える愛宕山にあり、明徳年間(1390年~1394年)に現在地に移転したという伝えがあることも付け加えておきましょう。
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さて、遺構については、南側の空堀、西側の水堀、北側の空堀と、非常に分かりやすい遺構を見ることができます。
東側は幼稚園建設、用水路の造成で大きく変化しているとのこと。無理して見ることはないかと・・・

吉見氏、上田氏が源範頼の末裔を称しているため、伝説地の話題を盛り上げる結果になったような気がします。

北本市石戸堀の内の伝説地も参考にどうぞ。
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by ckk12850 | 2006-12-01 08:56 | 比企郡吉見町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助