吉見観音

c0051112_1531159.jpg

城名:吉見観音
別名:蒲冠者源範頼旧跡
城主:源範頼
住所:埼玉県比企郡吉見町御所374番地・岩殿山安楽寺(吉見観音)
遺構:土塁?

ここを館跡として紹介するには判断が分かれるところでしょう。しかし、息障院から見て、関連がある城郭遺構ではないかと・・・
息障院から1kmに場所にあること。源範頼の伝承があること。息障院は、岩殿山安楽寺(吉見観音)の参道から右に見える愛宕山にあり、明徳年間(1390年~1394年)に移転したという伝えがあること・・・

松山城との関連も疑われます。松山城の北東2kmにあり、東方面の要として重視されたのではないでしょうか。

蒲冠者と称した源範頼は、源頼朝の異母弟です。平家追討に活躍するものの、頼朝から警戒され、伊豆に追放されたとされる人物です。
父源義朝が平治の乱(1159年)に敗れ、平家方に追われた源範頼は、岩殿山安楽寺に稚児僧として暮らした伝説もあります。

山門前に案内板があります。少し修正して紹介します。
「岩殿山安楽寺は坂東11番札所で真言宗智山派に属し、吉見観音の名で親しまれている。
開創は天平年中(730年ころ)行基菩薩が岩窟に観音像を安置したのが始まりという。
平治の乱(1159年)後、源範頼が、この地を領し本堂と三重塔を建立したというが、室町時代天文年間に山内上杉憲政と北条氏康の松山城合戦に際し、すべての伽藍は焼失してしまった。
現在の本堂は、江戸時代寛文年間に再建されたものであり、江戸時代前期の建築様式を伝える貴重な遺構である。
三重塔は本堂より古い江戸時代寛永年間の創建であり、江戸時代初期の貴重な遺構である」
c0051112_22383829.jpg

城郭遺構としての土塁かどうかは別として、本堂の西には土塁があります。
吉見丘陵東の端の高台に位置するこの寺院は、戦略的にも重要な場所であったと思えてなりません。
c0051112_1532720.jpg

北本市石戸堀の内の伝説地も参考にどうぞ。
[PR]
by ckk12850 | 2006-12-04 15:42 | 比企郡吉見町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助