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美尾谷十郎廣徳館

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城名:美尾谷十郎廣徳館
別名:―
城主:美尾谷(美尾屋・水尾谷)十郎廣徳
住所:埼玉県比企郡川島町表76番地・廣徳寺
遺構:水堀・空堀

県道川越栗橋線(12号線)沿いが目安です。
桶川の川田谷から荒川に架かる太郎右衛門橋を渡り、山ケ谷戸交差点の1つ先の信号を左折するのが分かりやすい道順ですが、大きな寺院なので迷うことは無いと思います。

境内には案内板や石碑がたくさんあります。実に丁寧です。丁寧すぎて混乱するかも(苦笑)

寺の起源は案内板に書いてありますが、新編武蔵風土記稿では「水尾谷四郎廣徳が開祖である」との説です。

美尾谷氏に関する古文の案内板がありましたので、現代訳で紹介します。間違えていたらすみません。
「そもそも鈴木家とは、源義経の重臣、鈴木三郎重家の主、義経が、源頼朝との仲が不和になり、奥州平泉に逃れたため、追慕のため熊野を出て埼玉県東松山市の田木の吉田に到着したが、大雨のため河川が氾濫し、この地に逗留し子供をもうけた。
もとより死を覚悟した旅路だったので、子供を連れて出立できず困っていたところ、友人である美尾谷十郎廣徳(美尾屋十郎廣徳)と話し、廣徳には子が無く、養子として迎え美尾谷(美尾屋)の姓を継がせたと伝わる。
その子孫は3代まで美尾谷を名乗ったが、元来鈴木氏の子孫であるので、4代目より鈴木姓に改めたという。(雨月物語より)」
これにより廣徳寺の大檀那美尾谷氏の姓は消え、鈴木氏の姓が現存するとのことです。

遺構は館としての遺構か、寺院としての遺構か、判断が難しいところです。寺の入口左手に美尾屋十郎廣徳館跡の縄張図(ちょっと苦笑)があります。これが思ったより役に立ちました。最初に確認しておくと良いでしょう。
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西側の道路に面した水堀、北側の田に面した水堀、境内南側の空堀は見事です。縄張図によると「堀」です。
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現在、国指定重要文化財の大御堂は、室町時代初期の建築とされ、大変貴重なものです。これを見るだけでも価値あり。
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大御堂の名称は、鎌倉将軍直創の名称なので、北条政子の再興説も頷けます。あるいは源頼朝も関係があったかもしれません。
地図はこちら
by ckk12850 | 2006-12-21 17:07 | 比企郡川島町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助