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中山家範館

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城名:中山家範館
別名:中山館
城主:中山家範
住所:埼玉県飯能市中山496番地・智観寺北東一帯
遺構:空堀の一部・丹生堀・加治堀

まずは智観寺を目指すと良いでしょう。ここに駐車させて頂くのがよろしいかと。

昭和38年、埼玉県の旧跡に指定されています。
館跡の北側堀跡、道路から少し入った民家の敷地内に案内板があります。車での進入は難しいかも。
「中山氏は武蔵七党の一つ丹党の出で、鎌倉時代の加治家季の頃に中山に居住し、中山を氏とするようになったという。館の西方に位置する智観寺には、加治家季夫妻の供養のために建立されたと推定される板碑(仁治2・3年、1241・1242年)がある。
中山家範は後北条氏に従い、天正18年(1590)八王子城で戦死している。
この館は小規模なものであり、周囲に推定幅4~6m、深さ1~2mの堀をめぐらしていた。この内堀は東西約60m、南北約90mで、外郭は東西約110m、南北約130mと推定される。館の北には勘解由山があり、館は丹生堀と加治堀の水源にはさまれていた。また西に智観寺、北西に丹生社、北に鎮守12社が置かれた。
館の周辺には中山家に仕える武士の居宅や田畑があり、中山氏は日常は農業経営を行い、武芸の鍛錬に励み、戦闘にあたっては武士団の長として活躍した。
館跡は戦後、北堀及び西堀の一部が残されていたが、現在は宅地化が進み、空堀が北西部隅に残されるのみとなっている。
平成8年3月
埼玉県教育委員会
飯能市教育委員会」

実際に館跡を歩いても住宅地であり、堀跡の線を追うことは困難です。案内板が無ければ相当探すことになりそうです。案内板近くの北西部隅の空堀、これだけかあ(苦笑)
この空堀が重要なチェックポイントなのですね。
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しかし、外郭の堀に相当する丹生堀、加治堀は河川として保存が良好であり、ゆっくり散策して良いかもしれません。

さて、ここで智観寺という名が登場しますが、中山氏の菩提寺で、墓があります。
中山氏に関する記述の案内板があります。
「智観寺は中山氏の祖、丹治武信が元慶年間(877~885)創建した寺である。武信は同時に智観寺の北隣に丹生神社を勧請した。中山氏は智観寺を菩提寺とし、丹生神社を氏神とした。中山氏の館跡は智観寺の北東にあり、堀跡は方形をしている。
中山信吉は中山家範の次男である。家範の父中山家勝の代に加治氏からん香山氏に改称したとも言われている。家範は豊臣秀吉の小田原攻めにおいて北条軍の八王子城を守り、奮戦し戦死を遂げその武名を残した。信吉は徳川家康に取り立てられ、側近として活躍する。また、水戸家初代藩主徳川頼房の傅育を命じられ、水戸藩の付家老となる。中山氏は水戸藩の北の要地である多賀郡松岡周辺(現高萩市)、久慈郡太田村周辺(現常陸太田市)に2万5千石程の領地を持ち、代々水戸藩の付家老として活躍した。
智観寺には中山信吉ほか、二代、四代を除き幕末まで代々の当主がほぼ夫妻で葬られている。信吉の墓前には信吉の嗣子信正によって御影堂が建立され、内部には宮殿、信吉寿像、信吉木碑、燭台、位牌が安置されていた。木碑には林羅山による信吉を顕彰する撰文が刻まれており、亀趺座(亀の台座)の上に碑が立っている。「御影堂」は三間四面で明治時代に解体され、木碑等は現在収納庫に保管されている。
中山信吉は飯能市と高萩市とを結びつける人物である。中山氏は先祖伝来の地を大事にしてきた。信吉と智観寺、その関係者と関係資料は郷土の歴史そして日本の歴史を私たちに教えてくれる。
平成15年3月 飯能市教育委員会」
とあります。
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案内板のパクリですみません(苦笑)
ぜひ館跡訪問を含めて、中山氏ゆかりの寺、智観寺も訪問してみると良いでしょう。
by ckk12850 | 2007-02-01 07:00 | 飯能市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助