平山氏陣屋

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城名:平山氏陣屋
別名:―
城主:平山氏・平田氏
住所:埼玉県坂戸市小山54番地
遺構:土塁・空堀

存在と所在地の情報は「関東地方の中世城館(2)埼玉・千葉」から。住所は小山鳩森57番地ですが、遺構や伝承は小山54番地の平田様宅に。戦国時代の陣屋だそうです。

大きな目安は小山72番地の入西神社、または小山96番地の龍光寺。そこから南に150m~200mくらいの場所です。

最初は神社近辺を中心に探しましたが、やっと長屋門が構えられている屋敷らしい家を発見。早速家主の平田様から詳しい話を伺うことができました。
それから、いろいろな資料で、小山57番地を探してくれたり、平山氏に関する資料を探してくれたり、感謝です。
そんな中、ひょっとして平山姓は我が家(平田家)のことだと聞いたことがありますと思い出してくださいまして。

以下、平田様のお話です。
「平山氏は、多摩桧原城の城主でした。武田信玄の家臣だったそうです。約400年前、檜原城からこの地に移り住んでいます。
思うに「平山」が転訛して「平田」になったのではないでしょうか。本家、分家も今となっては不明ですし、隣家とお互い本家を名乗っているのです。隣家が火事に遭ったとき、こちらの家でいろいろ助けた経緯があることなど、混乱しているものと思います。

ところで屋敷の北西に土塁がありました。取り崩したところ、無数の板碑が出土しました。よって、途中で取り崩すのを止め、中途半端に土塁が残っています。板碑は長屋門の右側(東側)に祭ってあります」
とのことです。

いろいろな事情があるにせよ、遺構は長屋門が構えられている平田様宅に構えられていますので、ここを推定地とさせて頂きます。
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屋敷内を拝見したところ、確かに土塁が残り、その外側に空堀がありました。主に土塁は屋敷北西に、空堀は屋敷西に構えられていました。
土塁は、高いところがあったり、低いところがあったり、お話のとおり掘り返したのではないかと思われる痕跡がありました。
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ここも武田伝説か!!!しかも桧原城主であったという平山氏。毛呂山の平山氏との関連も疑われます。
興味ある話に引き込まれました。

なお、板碑につきましては昭和54年、坂戸市の発掘調査により、貞和2年(1346年)から康正2年(1456年)のものと確認されています。板碑は前述した北西の土塁の西側部分最下層から発掘され、何と排水溝(暗渠排水施設)の上蓋及び排水口に再利用されていました。
土塁普請時に使われ、その年代は16世紀代と考えられています。
この時代、既に板碑の転用や再利用が行われていたとは驚きです。
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by ckk12850 | 2007-02-22 23:56 | 坂戸市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助