最明寺(千寿丸隠遁の地)

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城名:最明寺
別名:千寿丸(源頼家二男)隠遁の地
城主:千寿丸(瑶光房道円)
住所:埼玉県川越市小ヶ谷61番地
遺構:?

城館遺構というより寺院ですが・・・
「北条時頼ゆかりの寺」として知られていますので調べてみました。
事実だとすれば驚くべき寺伝が・・・

鎌倉街道上道は、所沢市で堀兼道が東へ分岐し、河越館方面へ向かいます。
おおむね入間川に沿って北へ続くのですが、河越館の手前(南)、約2kmの地に瑶光山最明寺があります。
場所は川越水上公園の入口です。

新編武蔵風土記稿、小ヶ谷の項、最明寺の記述があり、
「開山の僧及び年代、詳しく分からず、或いは北条相模守平時頼が開祖にて・・・」
という表現にとどまり、鎌倉幕府5代執権の北条時頼との関係を疑っています。

寺伝については最明寺の本堂左に立派な石碑がありますので、読んでみると良いでしょう。戸泉氏が所蔵されている最明寺縁起を写したと記されています。

最明寺の由来は、鎌倉幕府執権北条相模守平時頼が弘長2年(1262年)に創建した事に始まります。
初代執権北条時政により、伊豆修善寺において暗殺された源氏2代将軍源頼家の二男である千寿丸が、武蔵国三芳野住人、豊田源兵衛景快という者の縁故を頼って落ち延びました。その後出家し、瑶光房道円と名を改め、この地の草庵で貧しい生活をしていたそうです。

北条時頼は11年で辞職し、出家して最明寺入道学了道崇と改名し、諸国行脚の旅に出たと太平記等に書かれていますが真偽は不明です。

たまたま立ち寄った草庵に暮らす老僧(千寿丸)に面会し、その姿を気の毒に思い鎌倉に戻り、時頼が金150貫を寄進して建てられたのが最明寺で、瑶光房(千寿丸)を寺の別当職に任じ、鎌倉(幕府)同様に敬崇するよう700石の御朱印地を与えられ、瑶光房を山号とし瑶光山最明寺と命名しました。

建立された七堂伽藍(本坊を中心として、周囲の六坊の建物)の他、末寺の数も多く栄えましたが、何度かの戦火によりすべて焼失しました。特に江戸時代の火災では過去帳を焼失しましたが、本尊と時頼の位牌は隣家の佐源治が持ち出して無事だったそうです。

縁起ですから・・・
信じる信じない、お任せします・・・

なお、山門前には立派な板碑があります。
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by ckk12850 | 2017-11-30 10:00 | 川越市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助