広福寺

c0051112_2034383.jpg

城名:広福寺
別名:徳川家光鷹狩の休息所
城主:徳川家光
住所:埼玉県狭山市下奥富844番地
遺構:?

狭山市奥富は国道16号線から近い台地下の田園地区です。奥富小学校の東に隣接しています。秋には案山子まつりも開催されます。
この田園地区の一角に広福寺があります。永禄年間(1558年~1570年)一説には永正年間の創立と伝わる寺院です。
厳密に言えば城郭遺構ではありませんが、限りなく近世陣屋的存在であったと判断して紹介します。

広福寺の案内によりますと、徳川幕府3代将軍家光「御鷹狩の休息所」といわれ、当時西の方にお茶屋、東の方にお鷹部屋が建てられ、10年以上にわたって家光公が鷹狩りに来られたと寺所有の古文書に記されているそうです。
鷹狩りの際、本堂前の紅梅の美しさを賞賛し「御詞之梅」といいます。
c0051112_20371874.jpg

また、梅の近くの井戸も家光にお茶を入れたことから「梅之井」といいます。
c0051112_20383752.jpg

広福寺山門は、広福寺所蔵の古文書「表門諸入用帳面式」により、亨和元年(1801年)に着手され亨和4年10月29日棟上祝儀とあるので、文化2年(1805年)に完成したと思われるそうです。
c0051112_20385318.jpg

山門は袴腰が漆喰白壁塗り、袴腰の上層は勾欄手すりをめぐらし円柱に斗きょうを施した入母屋造りの瓦葺屋根を持っており、「扇乗木、二重垂木、総欅」という、関東には珍しい竜宮造りの建築様式です。そう言われてみれば、山口県の赤間神宮で見たことしかないかも・・・

また、山門は昭和48年、狭山市の指定文化財に指定されました。

遺構に関しては、何もない・・・です。ただし当時の寺域がどの程度の広さであったか、によって多少見解が異なってくるかもしれません。強いて探すなら寺の東を流れる赤間川が遺構でしょうか・・・
奥富小学校の西側に用水が流れていますが、これは関係ない可能性が。

それから境内の東に旧奥冨村役場跡の案内板がありました。明治22年、上奥富村、下奥富村、柏原新田村が合併して奥富村になったそうです。昭和29年、入間川町、入間村、堀兼村、柏原村、水富村と合併して狭山市となりました。
ここも旧境内敷地内だったのかなあ・・・
[PR]
by ckk12850 | 2017-11-30 09:00 | 狭山市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助