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腰越城

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城名:腰越城
別名:根古屋城
城主:山田伊勢守清義・山田伊賀守直定・山田氏
住所:埼玉県比企郡小川町腰越2375番地
遺構:土塁・空堀

山田伊勢守清義が青木氏に従い宇治川先陣に破れ、籠居するために築かれたとされている城跡です。その後、山田氏は上田氏に従い、天正18年(1590)の小田原征伐により上田氏没落後は徳川家に仕え300石の旗本として存続しました。

県道11号線を小川町から東秩父村方面に向かいますと右側に「埼玉県指定史跡腰越城跡」の大きな表示で分かります。
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この表示のある細い道(車両通行不可)を少し奥に入ると「腰越城跡榎戸口」が復元されています。この場所は榎戸と呼ばれ、大手口にあたり一の木戸があったとされています。杖が置いてあるのが嬉しい!
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榎戸通過後、なだらかな坂道を歩きます。その後、急な階段となりますが整備されているので思ったより楽です。頂上まで何mという表示もありますので気楽でしょう。
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榎戸口から約8分で根古屋と本丸の分岐へ。
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そのまま矢印に従い、左へ向かいます。目の前の山が本郭ですが、目の前に存在しながら登り口で一瞬悩みます。一度下って、また登るという城跡ならではの山道を歩きます。山麓から徒歩13分で本郭に到着。
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標高216m、比高100mです。東西の主要城郭の眺めは絶景。
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お弁当を広げてゆっくりさせてもらいました。

本郭は「ミニ資料館」かも(笑)
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案内はカラー写真であり、実に懇切丁寧で、腰越城~青山城小倉城菅谷城青鳥城を経由して上田氏の松山城へ至るネットワークが形成されていたことが分かります。そして最も西側の安戸口を守る重要な城であったと記されています。

お約束の案内板から。
県指定史跡 腰越城跡
腰越城跡は、槻川に三方を囲まれた天然の要害の地に築かれた戦国時代の典型的な山城です。本郭からは東に小川筋、西に安戸筋(東秩父村)をよく眺めることができます。城跡には城山、西側山麓には城を守る武士達の居住地を示す根古屋、南東側山麓には城への入口を思わせる榎木戸などの地名が残っています。
この城は安戸を根拠地とする松山城主上田氏の家老として仕えた山田伊賀守直定(1562歿)の居城と伝えられ、安戸への入口を守る重要な役割を果たした城と考えられます。
城跡は最高所の本郭を中心に二の郭・西の郭・帯郭・竪堀・堀切などから構成されています。中でも寄せ手の横移動を防ぐ竪堀が多いことや、本郭に至る通路が複雑なことがこの城の大きな特徴です。
平成2年7月 小川町教育委員会

城跡を示す見事な石碑の裏面に興味ある文が書かれていました。
めぐる槻川の清流は山々の四季を写し要害のここ本郭に立てば吹く風も音を語る 永禄五年当城主山田伊賀守直定公は赤浜の原で無念の最後 続く天正十八年同じく直安公は良く難局に処し城を開いて人命を救う 爾来四百年 この度地元保存会により当城が再び脚光を浴びるに及び感謝をこめて之を建てる 
平成二年三月 末裔 山田稔
施工 一之瀬石材店
地元に密着した城ですね。また末裔自ら建てたということに意義があります。

その他、二の郭、腰郭、帯郭、竪堀の保存も良好でした。特に帯郭にある「囮小口」は必見。
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矢印の順路に従うと、本郭を見た後、という順番になりますが実に複雑かつ巧妙な構造に驚くばかりでした。寄せ手が突き進むとここで袋の鼠になってしまう~!

その他、竪堀の大きさ、深さにも驚くばかり。
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遺構の保存状況、遺構の案内、山岳城郭ならではの普請。各所に郭、小口、竪堀、土塁の案内板がありますので勉強になります。
埼玉県の中世山岳城郭遺構の入門編として最適な城だなと思いました。

余談ですが、腰越城は永禄2年(1559)10月頃に長尾景虎(上杉謙信)方の太田美濃入道(太田資正)により落城したと思われるのです。
そして永禄6年(1563)2月4日、北条氏康、武田信玄連合軍により松山城が攻略されると、再び北条方の城となっています。現在の遺構は、永禄6年以降に上田案独斎(上田朝直)により大改修されたのではないでしょうか。

以下、根拠となる関東古戦録(関八州古戦録)から概略をまとめてみました。
那波城攻め・・・上杉方(本庄越前守繁長)が北条方(那波対馬守峯宗元・同無理之助宗安父子)を攻略、北条丹後守長国を入れた。
厩橋城攻め・・・北条方(北条氏綱の次男、福島孫一郎頼季・師岡山城守)を攻略、長尾左衛門尉・斎藤下野守を入れた。
伊勢崎砦攻め・・・上杉方(谷備中守宗次・荻田備後守・潮田主税助・毛利丹後守)が攻略。
沼田荘倉内城攻め・・・上杉輝虎が北条方(猪俣左近大夫)を攻略。
忍城攻め・・・上杉輝虎が北条方(成田長泰)を攻略、その間に武州松山、腰越の両城も太田美濃入道(太田資正)に攻め落とさせ、深谷、本庄、鴻巣の人々も降伏した。
松山城攻め・・・北条氏康・武田信玄連合軍が上杉方(新蔵人憲勝(上杉憲勝))を攻略、松山城には上田晴礫斎・上田上野介朝広を戻し、青山、腰越の砦とともに固く守らせ、北条・武田両家は、しばらく城にいて、その後陣を払った。

なお、駐車場は総合福祉センター(パトリアおがわ)が良いでしょう。腰越618番地、城跡入口の近くです。城跡の看板に「お帰りの際にはパトリアへもお寄りください」とありましたので、遠慮なく立ち寄るのが地域振興貢献かと・・・

山麓の山田館も参考にどうぞ。

慈光寺方面の支城として古寺砦木の城も参考にどうぞ。
地図はこちら
by ckk12850 | 2007-05-13 07:00 | 比企郡小川町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助