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福田氏屋敷

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城名:福田氏屋敷?
別名:小字矢倉
城主:福田氏?・福田太郎?
住所:埼玉県入間郡毛呂山町葛貫646番地?
遺構:台地・平場

葛貫にある宿谷氏館の南東200m~300m、小字の「矢倉」。非常に気になる地名です。
宿谷にある宿谷氏館本拠地~葛貫にある宿谷氏館田波目城というルートが想像されるのです。
そして葛貫の宿谷氏館の物見の櫓が存在したのではないかと思えてしまうのです。

この矢倉からの眺め、特に多和目方面(東方面)に重点が置かれていたのではないかと思うのです。矢倉の地から田波目城が見えましたし・・・

葛貫の宿谷氏館と矢倉の間は河川となっています。河川は窪地となっていて、対岸上のそれぞれ最高地点に宿谷氏館と矢倉が存在しています。
矢倉の最高地点は林となっています。
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決定的遺構は林の中の北側に平場があること。南側に土塁のような塚があることです。
ただし、平場は墓地のための普請かもしれません。
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この近辺、すべて福田姓の方でした。
福田姓の方に「大字葛貫小字矢倉の由来」について伺ったところ、2つの説があるとのことです。
1 蔵が8つあったから。
2 矢じり(弓矢の先端の石)が発見されたから。
本当は櫓があったからという答えを期待していましたが(汗

元弘3年(1333年)5月22日、新田義貞に攻められ鎌倉幕府は滅亡し、北条高時他一門数百名が鎌倉東勝寺で自害しましたが、宿谷行惟も加わっていました。その遺児で5歳の宿谷重顕は譜代家臣の村木右近、福田太郎、片瀬兵太夫らに付き添われ宿谷へ逃れ、山を隔てた大谷木の地に隠れたそうです。
つまり、宿谷氏の家臣、福田一族が関連しているのではないかと。
そのことについて、福田姓の方に尋ねたところ、確かに子孫であるという話は聞いたことがあるとのことです。しかし、良く知る方は亡くなっていて、詳しく知らなくて申し訳ないと話されていました。

聞き込みで福田家本家の所在地探し。言い伝えでは、葛貫646番地の福田様宅のようです。
伝本家は県道に面してありました!矢倉の地の最高地点の林から東に少し下った場所でした。
ご当主様から話を伺いました。
「確かにこの近辺は福田姓が多いです。今となっては関係を確認する術もありません。私の家が本家といわれても何とも答えようがありません(苦笑)
ただし、父は旧山根村の村長でした。集会所には父の写真が飾ってありました。幼少の頃、見た記憶があります。
屋敷地の東は県道拡張の際、片側車線分を削っていますが、北東に残る石垣(野面積み)は江戸時代の頃からあるものです。県道に面した部分の石垣は拡張時に積み直しています。
また、屋敷は現在の家屋より十数m南にありました」
貴重な話をありがとうございます。
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仮説として、宿谷氏家臣の福田氏屋敷としました。間違えていたらスミマセン。
by ckk12850 | 2007-07-21 10:10 | 入間郡毛呂山町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助