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小島屋敷

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城名:小島屋敷
別名:新田前遺跡?・大宮住吉神社?・住吉神社?
城主:勝呂氏?・小島氏?
住所:埼玉県坂戸市塚越591番地・
遺構:土塁?・堀?・弁財天池?

城館としての情報は「関東地方の中世城館(2)埼玉・千葉」から。住所は塚越新田前591番地です。現在、住宅と台地になっていて、土塁が残るとされています。戦国時代末期の屋敷だそうです。

埼玉の遺跡マップでは、新田前遺跡と称し、坂戸市塚越にあり、古墳時代・平安時代・鎌倉時代の遺跡(集落跡・城館跡)として定義されています。

実は西光寺城と重複してしまう場所になってしまうのです。
関東地方の中世城館(2)埼玉・千葉」では西光寺城は西光寺館と称し、住所は塚越新田前です。現在、山林と台地になっていて、堀・土塁が残るとされています。室町時代の館だそうです。備考として住吉社。
この備考の住吉社の判断が難しく、小島屋敷として考えるのか、西光寺館として考えるのか悩んでいたのです。

小島屋敷の所在地は西光寺の西側が中心なので、室町期から戦国末期にかけて館が全体的に東から西に移動したのでしょうか。

まずは塚越254番地にある大宮住吉神社を訪問。
風情ある佇まいです。特に春の桜は見事。
「大宮住吉神社
所在地 坂戸市大字塚越
社伝によると当社は、天徳3年(959年)山田長慶という人が長門国一ノ宮住吉神社の御分霊を勧請したのに始まる。その後康平年間に源義家が奥州平定の途次、反徒鎮定の祈願をし陣鉦を献じたといわれている。文治3年(1187年)には、源頼朝によって北武蔵12郡の総社に指定され、当社の神職である勝呂氏は、その触れ頭を命じられている。
その後、永享元年(1429年)には関東管領足利持氏によって社殿が再営され、慶長7年(1602年)には徳川家康から勅願所を命ぜられお墨付きを賜わり、以後、代々の将軍の礼遇を受けた。
なお、この社には県の無形民俗文化財の指定を受けている大宮住吉神楽が奉納されるが、これは江戸の里神楽の系統を伝承しているもので、神話を題材にした12曲のほか、10曲の座外の曲目が伝えられている。
例祭は、2月23日、4月3日、11月23日の3回で、この日は大々神楽を奉納する。
昭和56年3月
坂戸市」
と記されています。

大宮住吉神社の境内西側を中心に堀がありますが用水の可能性大。境内北側の道路は土塁の間の堀切にも見えるような・・・
また、大宮住吉神社前(南側)の弁財天が祭られている池も屋敷跡の名残でしょうか。
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現在も大宮住吉神社の神職である勝呂氏宅が池の西側にあります。ここは大きな塚(古墳か?)と小さい祠がありますが、小さい祠は「住吉神社」のようです。
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現在の状況から考えると、小島氏の屋敷というより勝呂氏の屋敷と思えてなりません。そして西光寺館が小島氏の館(城)だったと思うのですが・・・

勝呂氏なら勝呂豊前守館(勝呂館)勝呂館との関係が気になるし、小島氏なら小島氏館西光寺城との関係が気になります。
by ckk12850 | 2007-10-26 23:01 | 坂戸市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助