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武田信俊館

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城名:武田信俊館
別名:―
城主:武田氏(川窪氏)
住所:埼玉県比企郡小川町上横田1215番地・輪禅寺
遺構:土塁・武田氏歴代の墓所

所在地の情報は「関東地方の中世城館(2)埼玉・千葉」から。住所は上横田宮脇です。江戸時代初期の館だそうです。現況は畑、台地とされています。

「埼玉の館城跡」でも紹介されています。
「長篠合戦で討死した武田信実の子、新十郎信俊は初め武田を名乗ったが、甲斐国川窪を領して、川窪と姓を改め、後宮脇に移住し、父信実の追福のため輪襌寺を造営し、寺号を改めたという。武田の支流川窪家は累代当所に住し、墓碑もまた11基存する。」
と記されています。
これがすべてを語っています。

嵐山町から見て国道254号線バイパスの高谷交差点の手前150mに案内板が出ています。
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「町指定文化財 武田信玄公弟信實公一族の霊廟 曹洞宗輪襌寺」という大きな看板です。ここを右折。その後、突き当りを右折。

駐車場完備です。数人の観光客がいました。
山門前に案内板があります。
「町指定文化財・史跡 武田氏一族の墓域
所在地 小川町上横田1215
昭和38年3月12日指定
輪禅寺は、江戸時代、上横田を治めた武田新十郎信俊が父信実(武田信玄の異母弟)の追福と一族の菩提寺とするために、慶長13年(1608)、既にあった安養寺を廃し、新たに建立した寺です。墓域には一族52基あまりの墓石があります。
(以下略)」
と記されています。

墓所については、現在の寺域の最高地点にあり、館(住居)よりご先祖様を重視した川窪信俊の気持ちが伝わってきます。
昭和62年頃、墓は荒れていたのでしょうか。武田家累代霊廟改修記念碑が建立されていました。
それにしても・・・やっぱり武田一族です。立派な墓石群に思わず見入ってしまいました。
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本堂裏には土塁のような遺構もあります。これが館跡遺構かどうか不明です。
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また、本堂から裏手を眺めると緩やかな傾斜面になっていますが、新規墓地の造成工事が始まっていました。
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数年後、本堂裏手は景色が一変していることでしょう。
by ckk12850 | 2008-04-15 17:45 | 比企郡小川町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助