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源貞義居館地?

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城名:源貞義居館地?
別名:大聖寺
城主:源貞義?
住所:埼玉県市比企郡小川町下里1857番地・大聖寺
遺構:?

大聖寺は、小川町市街地の東の山の斜面に建立された、国指定重要文化財の六角石塔婆がある寺として知られています。
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国道254号線を小川町市街地から東に向かいます。道の駅おがわまち、または埼玉伝統工芸会館を過ぎると、道標がありますので迷わず到着できます。
観音堂付近まで登ると予想外に高台です。小川町の市街地が見渡せます。
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境内には案内板があります。
「大聖寺
大聖寺は、天台宗に属し暦応3年(1340)にこの地域の土豪と思われる貞義が希融法印を招請して開創したと伝えられ、本尊は如意輪観音である。
境内にある法華院には、国指定重要文化財の石造法華供養塔(六角石塔婆)が保存されている。6枚の緑泥片岩を組み合わせたもので、塔の高さは1.36メートルあり、康永3年(1344)の造立ときざまれている。
大聖寺は下里観音あるいは、子育観音という名前で、一般に親しまれており、4月20日、10月20日の縁日には、たくさんの参詣者が訪れる。また江戸時代末期頃から戦前までは、数百組の観音講(女人講)があり、にぎわいをみせたそうである。
本堂奥の高台にある観音堂は、江戸末期の建物で天井の絵は、小川町中爪の細井竹翁の作と伝えられ、当時のこの付近の文化をしのばせるものである。
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昭和59年3月
埼玉県
小川町」

六角石塔婆は、直接見ることはできませんが、保存庫だけ(笑)
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案内板には写真が掲載されていますので参考に。
「国指定重要文化財
石造法華経供養塔・板碑
この供養塔は、もと本堂裏の斜面中腹のわずかな平坦地にありましたが、風化が進んできたので、昭和54年に保存庫(法華院)を建設して移設しました。
供養塔は、台座上に長方形の6枚の緑泥片岩(下里岩)を六角筒形に組み立て、その上に六角と八角形の大小2枚の笠石を乗せています。本来は笠石の上に宝珠が乗せられていたと考えられますが、現在は欠損しています。
六角の各面には、蓮台上にキリーク(阿弥陀)の種子と、開山希融をはじめ51名の名前が刻まれています。正面には「開山希融平(源)貞義 祐仙 奉読誦法華経一千部供養・・・」とあり、その他の面には、「・・・康永3年庚申(1344)3月17日 一結之諸衆 敬白」の銘文が読みとれます。
昭和54年に追加指定された板碑によると、この六角塔婆の供養塔は、鎌倉時代滅亡に際し亡くなった主君・北陸使君禅儀の十三回忌に当り、大聖寺の開山希融や開祖の平(源)貞義らが法華経一千部を読誦し、供養した際に建てたと考えられます。銘文中の平貞義の平については源を改刻した可能性が高いようです。
平成3年3月
埼玉県教育委員会
小川町教育委員会
大聖寺」
と記されています。

国指定重要文化財、源貞義銘の板碑の存在が、館の可能性を示唆しているような気がするのですが・・・源貞義なる人物の館(居館地)はどこにあったのでしょう。
また、源貞義がなぜ平貞義に改姓したのか興味が沸きます。それと同時に小川町市街地の東の丘陵斜面に屋敷を構えた・・・つまり大聖寺付近が最も有力な推定地と思えてならないのです。
裏山の標高200mの山の存在も気になります。
by ckk12850 | 2008-05-10 21:12 | 比企郡小川町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助