古寺砦(推定地その2)

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城名:古寺砦
別名:古寺城・城山
城主:松本喜太七忠真?松本喜太七忠興?
住所:埼玉県比企郡小川町上古寺722番地1
遺構:?

「関東地方の中世城館(2)埼玉・千葉」では戦国時代の城とし、山頂、山林があり、堀、土塁が残るとされています。備考として「鏡岩」。

「埼玉の館城跡」では平安時代の砦とし、城主は松本喜太七忠真、山頂にあり90坪の広さであるとしています。
また、古寺砦は治承の頃、松本喜太七忠真が宇治川の先陣後、ここに籠居したといわれ、長享の頃、松山城の配下、腰越城の出城として、また慈光寺への備えの城との役割であったが、長享年間に両上杉氏の戦いにより落城したと伝えるが明らかでない、と記されています。関連事項として「鏡岩」だそうです。

中田正光著の「埼玉の古城跡」では縄張図が掲載され、青木山城守氏久の一門、松本喜太七忠興が守った城とされています。
また腰越城の南方に位置しているので、支城として遠見の役割をしていたと推察しています。その遠見は古寺城の南方にある慈光寺であろうとしています。

埼玉の遺跡マップではピンポイントで紹介されています。

さて、前置きが長くなりましたが、以上の条件と最新の地図数枚を参考に再度城跡探しです。

前回の古寺砦は、県道275号線、松郷峠の北側、氷川神社(上古寺566番地)から訪問しました。

ところが各種資料の推定地より南寄りのような気が・・・
ついでに標高も足りないような気が・・・

木の城は判明、古寺砦大手口(推定)はアタリともハズレとも言えず・・・

これは再挑戦する価値あり。
砦跡推定地は、光兆産業古寺砕石事業所敷地内のため、迂回作戦を。

木の城前の東王寺を通過、金嶽川に沿って上流の慈光寺に向かいます。
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どうやら昔からの参道(巡礼道)のようです。
高福寺前を通過後、左側に送電線保守道「中東京幹線369号に至る」の標柱がありました。登山口はここだけ?
ひとまずさらに上流へ。「←慈光寺・→東王寺小川町駅」の標柱がありました。出口橋です。文字通り慈光寺を下った出口だったのでしょう。
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ここを左折。しばらく車両通行可能ですが、急坂のため車輪が滑って(汗)
何とか車道終点へ。ここから慈光寺方面へ向かう登山道から外れて、東に向かって沢沿いの登山道を歩きます。シダの葉と倒木が邪魔ですが、沢が消える地点からマーキングに沿って十数m直登。何と先述の送電線保守道に出てしまいました(苦笑)
ここから南へ向かって尾根道を歩くと光兆産業古寺砕石事業所の敷地に到着です。徒歩約10分。視界が一気に開け、砦跡と思われる山が目の前に現れます。
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小川町の市街地が手に取るように見えました。
光兆産業古寺砕石事業所の入口も豆粒のように見えました。
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遺構は消滅した可能性が高いです。

この付近の山が、各種資料から推察する古寺砦のようです。

謎が残ります。
治承の頃、松本喜太七忠真が宇治川の先陣後、古寺砦に籠居したと伝わる松本家は、現在の県道275号線沿いに集中しているのです。松郷峠の旧道、古寺砦の伝承、木の城の所在地等を教えて頂きましたが、金嶽川に沿った慈光寺参道(巡礼道)沿い付近では、古寺の城跡の存在すらご存知の方がいらっしゃいませんでした。

個人的には治承の頃から長享の頃まで、2つの砦が存在しても不思議ではないと思っています。
地図はこちら
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by ckk12850 | 2008-05-29 20:29 | 比企郡小川町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助